* 広告 *
先日、私の地元でひきこもりに関する講演があったのですが、その講演録が掲載された資料を、ある方からいただきました。ありがとうございました。
講演録の中には、私が理解していることも書かれていて、自分のひきこもり理解は概ね間違いではないらしいということを確認できました。また、私が知らないこと、詳しくないことも数多く書かれていて、勉強になりました。さらに、私が特別関心を持っている分野についても講演では触れられていて、興味深く読みました。
それにしても、ひきこもりの定義から分類、具体的な事例、対応に至るまで、しっかり構成された講演です。さすがは専門家です。
ひきこもりの講演の他にも、メンタルヘルスに関する様々な読み物(という言い方でいいのだろうか)があり、興味深く読んでいます。
今度某ひきこもり支援施設に行ったとき、この資料をちょっと話題にしてみようかと思っています。
* * * * * * * * * *
いつも同じ方から、ひきこもりに関する資料をいただいています。いただいた資料はどれも非常に勉強になるもので、ブログでもときどき参考にさせていただいています。
このほか、支援施設で、ひきこもりやニートと関係のあるパンフレットの類を、たくさん持って帰っています。社会参加に役立ちそうな資源の情報を収集するという目的のほかに、支援施設で出会ったひきこもりの人との会話の話題提供や、ブログを書く上での参考資料の収集といった目的で持ち帰っています。
[関連記事]
◇ ニート、ひきこもり支援機関のパンフレット(ニートひきこもりJournal)
講演録の中には、私が理解していることも書かれていて、自分のひきこもり理解は概ね間違いではないらしいということを確認できました。また、私が知らないこと、詳しくないことも数多く書かれていて、勉強になりました。さらに、私が特別関心を持っている分野についても講演では触れられていて、興味深く読みました。
それにしても、ひきこもりの定義から分類、具体的な事例、対応に至るまで、しっかり構成された講演です。さすがは専門家です。
ひきこもりの講演の他にも、メンタルヘルスに関する様々な読み物(という言い方でいいのだろうか)があり、興味深く読んでいます。
今度某ひきこもり支援施設に行ったとき、この資料をちょっと話題にしてみようかと思っています。
* * * * * * * * * *
いつも同じ方から、ひきこもりに関する資料をいただいています。いただいた資料はどれも非常に勉強になるもので、ブログでもときどき参考にさせていただいています。
このほか、支援施設で、ひきこもりやニートと関係のあるパンフレットの類を、たくさん持って帰っています。社会参加に役立ちそうな資源の情報を収集するという目的のほかに、支援施設で出会ったひきこもりの人との会話の話題提供や、ブログを書く上での参考資料の収集といった目的で持ち帰っています。
[関連記事]
◇ ニート、ひきこもり支援機関のパンフレット(ニートひきこもりJournal)
新しい姉妹ブログを作ったので、ご紹介します。
普通のブログ
(新しいウィンドウで開く)
ブログというのは普通、個人の日常を日記調に書くものだろうと(少なくとも私は)思うのですが、意外に私はそうしたブログを持っていないことに気づき、作ることにしました。
気分次第で閉鎖します。
* * * * * * * * * *
「洋ちゃんはこれまでの人生悪いことばかりだったから、これからはいいことがいっぱいあるよ」
私が高校3年生の頃に、親戚に言われた言葉です(「富重洋」はハンドルネームです)。
それから何年も経ちましたが、最近、「前半生で悪い(いい)ことばかり続くと、後半生ではいい(悪い)ことばかりが起きるものだ」という内容のことをひきこもり支援施設で言われ、またしても「富重さんはこれまでの人生悪いことが多かったから(以下略)」と励まされてしまいました。私にいいことが訪れるのは、一体いつの日なのでしょう。
「前半生で悪い(いい)ことばかり続くと、後半生ではいい(悪い)ことばかりが起きるものだ」
これには一体何の根拠があるのでしょう。いや、きっと根拠はないのでしょう。
ですが、不必要に真面目に根拠を考えてみると、もしかすると「大数の法則」が根拠ではないかとも私には思えてきます。
例えば10円玉を転がして、表が出る確率と裏が出る確率を考えてみましょう。3回、5回と試すと、表ばかり出たり、逆に裏ばかり出たりすることがあります。しかし、10回、20回と続けると、次第に裏と表が出る確率がそれぞれ50%ずつに近づいていきます。これが「大数の法則」です。
人生もこれと同じです。最初の10年、20年は、悪いことばかりが続いたり、逆にいいことばかりが続いたりすることもあるでしょう。ですが、60年、70年と長く生き続けると、いいことも悪いことも50%ずつに近づいていくのです。
…なんてことはないでしょう。
普通のブログ
(新しいウィンドウで開く)
ブログというのは普通、個人の日常を日記調に書くものだろうと(少なくとも私は)思うのですが、意外に私はそうしたブログを持っていないことに気づき、作ることにしました。
気分次第で閉鎖します。
* * * * * * * * * *
「洋ちゃんはこれまでの人生悪いことばかりだったから、これからはいいことがいっぱいあるよ」
私が高校3年生の頃に、親戚に言われた言葉です(「富重洋」はハンドルネームです)。
それから何年も経ちましたが、最近、「前半生で悪い(いい)ことばかり続くと、後半生ではいい(悪い)ことばかりが起きるものだ」という内容のことをひきこもり支援施設で言われ、またしても「富重さんはこれまでの人生悪いことが多かったから(以下略)」と励まされてしまいました。私にいいことが訪れるのは、一体いつの日なのでしょう。
「前半生で悪い(いい)ことばかり続くと、後半生ではいい(悪い)ことばかりが起きるものだ」
これには一体何の根拠があるのでしょう。いや、きっと根拠はないのでしょう。
ですが、不必要に真面目に根拠を考えてみると、もしかすると「大数の法則」が根拠ではないかとも私には思えてきます。
例えば10円玉を転がして、表が出る確率と裏が出る確率を考えてみましょう。3回、5回と試すと、表ばかり出たり、逆に裏ばかり出たりすることがあります。しかし、10回、20回と続けると、次第に裏と表が出る確率がそれぞれ50%ずつに近づいていきます。これが「大数の法則」です。
人生もこれと同じです。最初の10年、20年は、悪いことばかりが続いたり、逆にいいことばかりが続いたりすることもあるでしょう。ですが、60年、70年と長く生き続けると、いいことも悪いことも50%ずつに近づいていくのです。
…なんてことはないでしょう。
ブログの更新ネタが思いついたら、いつも何かにメモをする癖をつけています。
更新ネタは、ひきこもりやニートに関するものを読んでいるときに思いつくこともありますし、突然思いつくこともあります。「今日は何を書こうか」と意識して考えている最中に思いつくこともあります。
メモしたネタのうち、更新に使えそうなものがあれば、本館や別館で記事にします。使えなさそうに思えるものは判断を保留し、しばらく後にもう一度考えて、それでも使えなさそうであればボツにします。
更新に使えそうなネタかどうかの判断基準は様々ですが、その一つに、皆様からいただいたブログ拍手があります。過去にいただいたブログ拍手の数から考えて、拍手をたくさんいただけそうだと思えるネタは採用することが多いです。私は、人を集めて広告収入を得ることをブログ運営の一つの大きな目的としていますから、好評が得られそうな記事を書くことは大事なことです。
* * * * * * * * * *
しかし、この頃私が思いつく更新ネタと言えば、使えなさそうなものばかりです・・・。だんだんいいネタが思いつかなくなってきていて、困っています。
いいネタを思いついたつもりでも、調べてみると、そのネタは過去に使ったものだった、ということもあります。長らく記事を更新し続けると、このようなことも起ってしまいます。そうした場合、視点を変えるなどして新たに書き換えることもありますが、そのような工夫ができず、ボツにしてしまうことも少なくはありません。
普通の個人ブログであれば、ネタが思いつかなければブログの更新を放置してもさほど問題ないと思うのですが、私の場合そうもいきません。更新が滞ると人が来なくなり、広告収入の減少につながる可能性が高いです。更新ネタが思いつかないという問題が、収入の問題につながっているのです。
なかなか難しいものですが、なんとか書き続けたいです。
更新ネタは、ひきこもりやニートに関するものを読んでいるときに思いつくこともありますし、突然思いつくこともあります。「今日は何を書こうか」と意識して考えている最中に思いつくこともあります。
メモしたネタのうち、更新に使えそうなものがあれば、本館や別館で記事にします。使えなさそうに思えるものは判断を保留し、しばらく後にもう一度考えて、それでも使えなさそうであればボツにします。
更新に使えそうなネタかどうかの判断基準は様々ですが、その一つに、皆様からいただいたブログ拍手があります。過去にいただいたブログ拍手の数から考えて、拍手をたくさんいただけそうだと思えるネタは採用することが多いです。私は、人を集めて広告収入を得ることをブログ運営の一つの大きな目的としていますから、好評が得られそうな記事を書くことは大事なことです。
* * * * * * * * * *
しかし、この頃私が思いつく更新ネタと言えば、使えなさそうなものばかりです・・・。だんだんいいネタが思いつかなくなってきていて、困っています。
いいネタを思いついたつもりでも、調べてみると、そのネタは過去に使ったものだった、ということもあります。長らく記事を更新し続けると、このようなことも起ってしまいます。そうした場合、視点を変えるなどして新たに書き換えることもありますが、そのような工夫ができず、ボツにしてしまうことも少なくはありません。
普通の個人ブログであれば、ネタが思いつかなければブログの更新を放置してもさほど問題ないと思うのですが、私の場合そうもいきません。更新が滞ると人が来なくなり、広告収入の減少につながる可能性が高いです。更新ネタが思いつかないという問題が、収入の問題につながっているのです。
なかなか難しいものですが、なんとか書き続けたいです。
ニート、ひきこもり等の若者を支援する施設に通っていると、最近、平成生まれのニート、ひきこもりの人と会うことがあります。少なくとも私の周辺の若者支援施設は対象年齢の下限が18歳なので、平成21年の現在、平成生まれの人が通所していても何の不思議はありません。
平成生まれというと、消費税がなかった時代を知らない世代です。あの昭和天皇の崩御や小渕敬三官房長官の新元号発表のとき、この世にまだ生を受けていなかった世代です。平成元年の1月に、たしかテレビで平成最初の赤ちゃんたちが報道されたことを覚えていますが、あの赤ちゃんたちよりも下の世代です。
私はひきこもり生活により社会と接する機会が少ないこともあって、平成生まれの人には、それまでほとんど会ったことがありませんでした。それだけに、平成生まれと聞くと少し驚いてしまいます。
平成生まれの若者としては、私のようなものが驚いていることが、ぴんとこないに違いありません。私自身、大学時代、オイルショックを知らない世代ということで教授に大いに驚かれたものですが、ぴんとはきませんでした。
とにかく、平成生まれだからといって妙な反応をするのはやめて、相手と接する際には、相手に興味をもつことが大事だろうと思っています。
ニート、ひきこもりの若者と一口に言っても、年齢差があります。最近は、若者とは言えない年齢層のひきこもりの人なども、支援施設で見かけるようになってきたと感じています。
平成生まれというと、消費税がなかった時代を知らない世代です。あの昭和天皇の崩御や小渕敬三官房長官の新元号発表のとき、この世にまだ生を受けていなかった世代です。平成元年の1月に、たしかテレビで平成最初の赤ちゃんたちが報道されたことを覚えていますが、あの赤ちゃんたちよりも下の世代です。
私はひきこもり生活により社会と接する機会が少ないこともあって、平成生まれの人には、それまでほとんど会ったことがありませんでした。それだけに、平成生まれと聞くと少し驚いてしまいます。
平成生まれの若者としては、私のようなものが驚いていることが、ぴんとこないに違いありません。私自身、大学時代、オイルショックを知らない世代ということで教授に大いに驚かれたものですが、ぴんとはきませんでした。
とにかく、平成生まれだからといって妙な反応をするのはやめて、相手と接する際には、相手に興味をもつことが大事だろうと思っています。
ニート、ひきこもりの若者と一口に言っても、年齢差があります。最近は、若者とは言えない年齢層のひきこもりの人なども、支援施設で見かけるようになってきたと感じています。
例えば、私が誤って何か大きな事件や事故を起こしたり、あるいは巻き込まれたりしたら、ニュースで大きくこう出るでしょう。
「○○市にお住まいの無職・△△△△さん(××歳)」
私が無職であることが、ニュースで大きく報道されてしまいます。
* * * * * * * * * *
例えば、私がひきこもりデイケア等で、博物館等の施設に入場したときに、たまたま私がきりのいい入館者数だったら、ニュースで大きくこう出るでしょう。
「入館者数■■万人目は、○○市にお住まいの無職・△△△△さん(××歳)」
私が無職であることが、ニュースで大きく報道されてしまいます。
* * * * * * * * * *
こうしたことは滅多に起ることではないかもしれません。私はただでさえ外出する機会が少ない上に、一般に、メディアで大きく報道されるような事件や事故に関わったり、記念すべき入場者になったりする可能性は、そうそうないでしょう。
ただ、絶対に起りえないことではありません。現に、私は上のような滅多にないことに危うく巻き込まれそうになったことがあります(下手をすれば、全国ニュースで私の名前が出るところでした)。
私が無職であることがニュースを通じて大きく報道されると、私のような気の小さな者は、大変辛い思いをすることでしょう。加えて、私の苗字は希少姓なので、「あそこの家の親族に、ニート、ひきこもりの若者がいる」と地域の人たちに知られ、私の家族はもちろん、親戚にまで迷惑がかかってしまいます。
とはいえ、このようなことをあまり気にしても仕方がありません。ほどほどにしておきます。
「○○市にお住まいの無職・△△△△さん(××歳)」
私が無職であることが、ニュースで大きく報道されてしまいます。
* * * * * * * * * *
例えば、私がひきこもりデイケア等で、博物館等の施設に入場したときに、たまたま私がきりのいい入館者数だったら、ニュースで大きくこう出るでしょう。
「入館者数■■万人目は、○○市にお住まいの無職・△△△△さん(××歳)」
私が無職であることが、ニュースで大きく報道されてしまいます。
* * * * * * * * * *
こうしたことは滅多に起ることではないかもしれません。私はただでさえ外出する機会が少ない上に、一般に、メディアで大きく報道されるような事件や事故に関わったり、記念すべき入場者になったりする可能性は、そうそうないでしょう。
ただ、絶対に起りえないことではありません。現に、私は上のような滅多にないことに危うく巻き込まれそうになったことがあります(下手をすれば、全国ニュースで私の名前が出るところでした)。
私が無職であることがニュースを通じて大きく報道されると、私のような気の小さな者は、大変辛い思いをすることでしょう。加えて、私の苗字は希少姓なので、「あそこの家の親族に、ニート、ひきこもりの若者がいる」と地域の人たちに知られ、私の家族はもちろん、親戚にまで迷惑がかかってしまいます。
とはいえ、このようなことをあまり気にしても仕方がありません。ほどほどにしておきます。
思うところがあって、高校3年の頃の国語の教科書を開いたところ、夏目漱石の『それから』が収録されており、私の目を引きました。というのも、主人公の長井大助(30歳)が、今で言うニートだったからです。「高等遊民」と言った方が、より分かりやすいかもしれません。
池田光博氏によると、漱石は高等遊民を既に『虞美人草』の頃には作品の中に登場させていたそうですが、この作品では高等遊民を「直接問題にしたのではなかった」のだそうです。しかし、今回の『それから』は、「高等遊民の存在を鋭く追及」した作品なのだそうです(池田, 1963)。このような作品に私が偶然巡り会ったのも、何かの縁です。
私は漱石を読み込んでおらず、『それから』も、恥ずかしい話ですが、教科書に載っていた分(一部とダイジェスト)しか読んでいないので、この作品についてあまり大きなことは書けません(だから、今回の記事は別館で公開しました)。
ですが、まず思ったことは、長井大助は、現代のニート像とあまりにかけ離れていると、素朴に感じました。現代のニート像とは、各種実態調査で浮き彫りにされたニート像です。現代では、高等遊民タイプのニートは、少数派なのではないかと思います。
私個人も、長井大助には全く共感できるところがありません。私はあそこまで自分のことを正しいと信じることはできませんし、もっと自分に自信が持てず、そのため、人を避けてしまいます。何より、働きたい(けど、働けない)と感じています。
大したことは書けませんでしたが、『それから』を読んだ私の所感はこんなところです。
ところで、高等遊民とは、あの時代にどの程度存在したのでしょうか?単なるフィクションの世界の産物に過ぎないのでしょうか。それとも、けっこうな数で存在したのでしょうか。不勉強なもので、知りません。
[文献]
◇ 池田光博(1963)「漱石文学における『高等遊民』について」『国語教育研究』129-131.
